2017-08-02

走り書きで考える「何のために写真を撮るのか?」

「何のために写真を撮っているのか、分からない。」

これは、カメラを趣味にした人がぶつかる、最も大きな悩み・問いかもしれません。

極端な話、僕はカメラがなくても生きていけます。プロの写真家ではないので、カメラをやめたところで衣食住を失うことはありません。

それでも、決して安くはないカメラやレンズを購入して、シャッターを切っています。それはなぜでしょうか? 何のためでしょうか…。

今回は、そのような問いに対する考えを「走り書き」でシェアします。

きっかけはカメラマン・伴貞良さんの動画

そもそも、「なぜ写真を撮るのか」という根源的な問いと向き合おうとしたのか。それは、カメラマン・伴貞良さんの動画がきっかけです。

伴さんの動画はどれも「ハッ」とさせられる内容です。写真好きの人たちが知らず知らずのうちに忘れていること(見えていないこと)を、明晰・明快に語っておられます。

ちなみに、「伴さんといえばSONY RX100」というイメージをお持ちの方もいらっしゃるでしょう。もちろん僕もその一人で、伴さんの影響を受けてSONY RX100を購入しました。

そんな伴さんが昨日(2017年8月1日)アップロードされた動画は、「おっさん写真道7 出口を設定する」というものです。概要を引用させていただきます。

撮るのは楽しいんだけど、撮るだけじゃ飽きちゃったり、目的を見失ったりするのよね。というわけで、出口を設定して、そこから逆算するような考え方をしてみるのもアリなんじゃないのっていうお話です。
(YouTube,伴貞良「おっさん写真道7 出口を設定する」概要欄より引用)

概要を読んだだけでもワクワクしてくるといいますか、ドキドキしますよね。

今の僕には「出口」がない

そしてこの動画を観て思ったのは、今の僕には「出口がない」ということ。

もちろん、出口がなくても写真は撮れますし、楽しむこともできます。伴さんも、動画のなかで「そういう楽しみ方もある」とおっしゃっています(例:近所を散歩して写真を撮る)。

しかし、そうすると出口がないので、結局いつかは迷ってしまうのです。

僕でいうと、はじめは「モデルさんが喜ぶ超綺麗なポートレートが撮りたい!」と思っていました。ところが、撮ってみるとこれがとっても難しい(汗)

撮影自体はとても楽しいのですが、まあ色々な理由で、今はポートレートを撮影していません。このことは後々に記事として書ければいいなあと思いますが。

そういうわけでポートレート撮影をお休みした僕は、何を撮ればいいのか分からなくなりました。地元の風景を撮っても、観光地の景色を撮っても、その写真には「出口」がありません。

TwitterやInstagramに投稿しても、一瞬で消費される運命です。もっともそれが現代の写真の在り方(楽しみ方)なのですが、それは僕にとって「出口」「目的」にはならないかな…、と。

さて困りました。僕は何のために写真を撮っているのでしょう。

すべては「原点」に立ち返るため

この記事は「走り書き」ということもあって、骨組みも何も考えずに書き進めてきました。いわば、「考えながら書く」あるいは「答えを見つけるために書く」状態です。

ただ、ここまで書いたことで、一つ分かったことがあります。

それは、すべては「原点」に立ち返るための道筋なんだ、ということです。

僕にとっての写真・カメラの原点は、そう「モデルさんが喜ぶポートレートを撮ること」。

この目的を達成するために、機材のことで悩んだり、なんでもない日常を撮ったり、ブログを書いたりしているのだと思います。というよりも、そうなんです!

春は桜の美しさを撮影し、夏は晴れた空を撮る、秋は色づいた山々を撮り、冬は…。

僕は、僕の写真・カメラ活動のすべてがそこに繋がると信じているので、たとえこれが「回り道」だとしても、楽しんでシャッターを切れています。『ワンピース』は最初の一、二巻までしか知りませんが、ルフィが宝物?を探すために、長い長い航海に出ているのと同じです!(補足お待ちしてます)

というわけで、そこそこスッキリできたところで終わりにしましょう。

最後に…。皆さんは何のために写真を撮っていますか?

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